息の長いHTMLという考え方に改めて神崎さんの思考の鋭さを垣間見ました。W3Cにかかわっている人は当然このような考え方をベースに活動をしておられるのでしょうが、素人の私などには非常に新鮮で時間を超える仕組みはなにが必要かを改めて考えさせられました。
これは、つまるところグーテンベルク以来の文字資産(画像も含めて記述されたもの)は普遍性のある規準に乗せないと時間の試練に耐えられないということを言っておられると思います。
一方、DNAのアナロジーで「歴史の事実」というものは存在せず、あるのは現在における解釈(過去の解釈)の積み重ねだという考え方へ歴史哲学はシフトしていっているようにも思われます。この2つの考え方の折り合いがインターネットの世界では非常に重要になってきているという思いを改めていだきました。
同様の問題は結城さんの昨日のBLOGで「でもC.S.ルイスはそれを書かない。書いてしまったら、その物語を制約してしまうから。それと同じように、私たちのこの世の歴史全体が表紙に過ぎないような物語が、私たちの人生の先にある。」と書かれています。一方では書こうとしている、一方では書くことを拒否している。究極の矛盾と思えます。
私の理解は現在という瞬間だけで消え去ってしまうということで(口頭でその場限りで)よいのではないかということです。